2025年6月に経済産業省が公表した「令和6年度大学発ベンチャー実態等調査」によると、2024年10月時点の大学発ベンチャー数は5,074社。前年度の4,288社から786社増え、社数・増加数ともに過去最高を更新した。大学別では東京大学が468社で全国首位、次いで京都大学422社、慶應義塾大学が377社で私学トップに立つ。数字だけを見れば日本の大学発スタートアップは順調に拡大しているように映る。だが現場の温度感はもう少し複雑で、増加の中身は政府・大学VC・民間VCが組み上げた「重層的な支援パイプライン」によって押し上げられている部分が大きい。本稿では、その制度の地図を整理する。
現状:制度の層がはっきり見えてきた
大学発スタートアップの支援は、ざっくり「アイデア段階の起業前支援」「シード期の資金提供」「シリーズA以降の成長支援」の三層に分かれる。アイデア段階では、JSTの「大学発新産業創出プログラム(START)」が代表格で、研究シーズの事業化に向けて伴走するプロジェクト形式の支援が走っている。2026年5月に株式会社ADDVEMOが、4月には株式会社TOMOCLOUDがSTART経由で設立されるなど、毎月のように新規法人が誕生している状況だ。
シード期の中核はNEDOの「研究開発型スタートアップ支援事業」と、文部科学省・JSTが運用する「大学発新産業創出基金事業」の二本柱である。NEDOは2026年度から、ベンチャーキャピタル向けに「大学発スタートアップにおける経営人材確保支援(MPM)」の公募を開始する。研究者だけでは埋まらないCEO・COO・CFO人材を、VCが伴走しながら採用するための補助制度で、これまで「技術はあるが経営層がいない」という典型的な詰まりを正面から解こうとしている。
成長フェーズでは、各大学のVCが主役になる。東大IPC、京大iCAP、KII(慶應イノベーション・イニシアティブ)の三社は、2025年から2026年にかけてファンドサイズを一段引き上げた。とくに京大iCAPはFund Ⅲ「Innovation Kyoto 2026 Investment Limited Partnership」を組成し、目標規模は最大200億円、ファンド期間15年(最大2年の延長可)。京都大学だけでなく他の国立大学発スタートアップにも投資できる設計になっており、運用範囲が広がっている。地域的にも東京都が大学VCに出資するファンド・オブ・ファンズを2024年に開始するなど、自治体・国・大学・民間の役割分担が徐々に整理されてきた。
支援対象も広がっている。従来の主力だったバイオ・創薬に加え、近年は量子コンピューティング、宇宙、ロボティクス、半導体材料といった「ハードテック」が顕著に増えた。2024年10月時点の大学発ベンチャー5,074社のうち、東京都が1,936社、大阪府が384社、京都府が305社、神奈川県が261社で、首都圏一極集中ではあるものの、関西圏も独自の厚みを持ち始めている。
背景:なぜ「重層化」が進んだか
重層化が進んだ最大の理由は、ディープテック領域の事業化が想定以上に時間と資金を食うことが、ここ数年で誰の目にも明らかになったことだ。バイオ、量子、半導体、ロボティクスは、シードで数千万円、シリーズAで数億円規模の資金を入れても、製品化までさらに5〜10年かかる。VCのファンド期間は通常10年、長くて12年なので、単一ファンドでは抱えきれない。結果として、政府の補助金がプレシードを、大学VCがシード〜シリーズAを、民間VCがシリーズB以降を、という役割分担が自然に形成された。
もう一つの背景が、東京都など自治体の参戦である。東京都は2024年から大学VCに出資するファンド・オブ・ファンズを立ち上げており、運営は東大IPCが受託している。自治体マネーが入ることで、リスクの高いディープテックにも資金が回りやすくなる構造ができつつある。文部科学省が2025年3月に公表した「大学発スタートアップの支援に係る調査」でも、地域連携と人材還流の重要性が強調されている。
一方で課題も浮かび上がる。日本経済新聞が2025年に報じたとおり、大学発スタートアップの存続率は9割と高いが、半数は赤字。事業として伸び切れず「ぬるま湯」に留まっているケースが少なくない。支援制度が手厚くなるほど、補助金で延命する企業と本気で世界を狙う企業の二極化が進んでおり、選別をどう設計するかが次の論点になっている。
事例:東大IPC、京大iCAP、KIIの動き
東大IPCは、2020年に立ち上げた「AOI1号ファンド」を約8倍の240億円規模にスケールアップする計画を進めている。投資領域はバイオ、宇宙、AI、量子と幅広く、東京大学の研究者だけでなく、東大OBが立ち上げた他大学発のスタートアップにも投資する。2026年に入ってからは、産業構造の転換に直結するクライメートテックへの配分を意識的に増やしている、と公開資料で言及している。
京大iCAPは前述のFund Ⅲを2026年に組成。15年の長期ファンドという設計は、研究開発に時間がかかる京大シーズの特性に合わせたものだ。代表的な投資先には、バイオ・ライフサイエンス領域でiPS細胞関連の事業を進めるスタートアップや、エネルギー材料のディープテック企業が並ぶ。
KIIは、2024年8月にKII3号インパクトファンドを202億円でファイナルクローズした。医療・健康とデジタル・テクノロジーの二領域に集中し、「インパクト」を投資判断に組み込んだ国内でも先駆的なファンドだ。1号ファンド45億円、2号ファンド103億円から段階的にサイズを引き上げており、慶應発スタートアップへの資金供給の中核になっている。2026年4月には、世界初のグラフェン光デバイスを開発する慶大発スタートアップ「グラフェナリー」に出資。慶應はSFC・理工・医学部それぞれから多様な分野のスタートアップが生まれており、KIIはそのハブとして機能している。
学生・若手にとっての示唆
支援制度が重層化したことで、学生にとっての「最初の一歩」は確実に踏み出しやすくなった。研究室の成果を事業化するなら、まずは指導教員経由でSTARTやNEDOのプレシード支援に申し込めるし、シードフェーズではKIIや東大IPCが少額からチケットを切ってくれる。一昔前のように「VCが取り合ってくれない」状況ではない。重要なのは、補助金や大学VCの資金は「事業を育てる踏み台」であって、ゴールではないという認識である。
もう一つの示唆は、CEO・経営人材としての参画ルートが広がっていることだ。NEDOのMPM事業や、各大学VCのEIR(客員起業家)枠は、研究者ではない学生・若手社会人が大学発スタートアップに経営側で関わるための制度的な入口になっている。技術はあるが経営層が薄い、というのが大学発スタートアップの典型的な弱点なので、文系・ビジネス側のキャリアからこの世界に入る価値は十分にある。大手企業の若手社員にとっても、副業・出向・転籍といった形での参画ルートが整いつつあり、選択肢は明らかに広がった。
5,074社という数字は通過点に過ぎない。次の論点は、量から質への転換と、海外市場で勝てる大学発スタートアップをどれだけ作れるかである。制度は揃った。あとはどう使い倒すか、というフェーズに入った。日本の研究シーズが世界に出るまでの距離は、確実に短くなっている。