2025年の日本企業のM&Aは、件数で5,115件、取引金額で35.7兆円に達し、いずれも過去最高を更新した。前年比で件数は8.8%増、金額に至っては74.7%増という大幅な伸びだ。事業承継目的のM&Aだけで11月末時点ですでに945件を数え、これも過去最高水準にある。「失われた30年」の象徴とされてきた日本のM&A市場は、いま明らかに体質を変えつつある。背景にあるのは、団塊世代の引退、PEファンドの本格参入、そして大企業の事業ポートフォリオ見直しという三つの大きな潮流である。同じ「過去最多」でも、内訳を読み解くと景色は毎年違って見える。
現状:5年連続の過去最多、国内再編が主役
適時開示ベースでは、日本企業が関与したM&Aは2025年に5年連続で過去最多を更新し、取引総額は20.3兆円に達した。レコフ集計の合算ベースでは5,115件、35.7兆円となる。注目すべきは件数の伸びを牽引したのが国内案件(IN-IN)であり、買収側の主役が事業会社・PEファンド・上場子会社の親会社化など多様化している点である。
事業承継目的のM&Aが急増している。中小企業庁の調査でも、60歳以上の中小企業経営者が過半を占め、後継者不在率は5割前後で推移している。2026年に団塊世代が全員75歳以上の後期高齢者となるタイミングに合わせ、譲渡側の出口需要が一気に出てきている。買い手は同業大手、ロールアップを進めるPEファンド、地域内の異業種など層が厚くなり、価格形成も以前より競争的になっている。
もう一つの目立つ動きはMBO・上場廃止である。2025年は2024年に続き、ベネッセホールディングス、富士ソフト、大正製薬といった大型上場企業がPEファンドと組んだMBOで非公開化した。コーポレートガバナンス改革と東証のPBR改善要請を契機に、上場維持のコストや短期業績圧力を嫌気して、戦略的に非公開化を選ぶ動きが定着しつつある。
業種別では、TMT(テクノロジー・メディア・通信)、ヘルスケア、ビジネスサービス、産業財の各セクターで取引が活発化した。フロンティア・マネジメントの集計によれば、2025年7〜9月期にはクロスボーダー案件とMBOが同時に膨らみ、四半期だけで取引額が前年同期比2倍超となった。年間を通してM&A機能を持つ事業会社の数も増えており、専任部署を新設する大手・中堅企業の動きが続いている。
背景:PE参入、コーポレートガバナンス改革、円安
PEファンドが日本市場の主要プレイヤーとして定着した影響は大きい。KKR、ベインキャピタル、カーライルの「ビッグ3」に加え、CVC、ブラックストーン、EQTなど欧米大手が日本拠点を強化している。KKRはAUM6,375億ドル(うちPE1,954億ドル)の規模で、日本における大企業のカーブアウト案件に厚く配賦している。日系PEも事業承継・中堅企業領域で件数を伸ばしている。
コーポレートガバナンス改革も追い風だ。東証のPBR1倍割れ企業への改善要請は、資本効率の低い事業の切り離しを実務的に強く促した。社外取締役比率の上昇、政策保有株式の縮減、株主提案の増加といった圧力が同時に効いており、「非中核事業の売却」と「子会社の完全子会社化」が同じ取締役会で並行議論される構造になっている。
円安も日本のM&A環境に二重の影響を与えている。一方では、海外勢にとって日本企業の買収価格が割安に見えるため、インバウンド案件への関心が高まる。他方、日本企業にとっては海外資産の取得コストが上がり、クロスボーダーOUT-IN型は件数こそ多いものの、巨額案件には慎重姿勢が強まる。2025年のクロスボーダー(IN-OUT)件数では米国向けが最多で、ASEANは北米・欧州に次ぐ位置にある。
事例:ベネッセ、富士ソフト、ベインの存在感
ベネッセホールディングスのMBOは、創業家とEQTパートナーズが連携し、約2,000億円規模で非公開化した案件である。教育事業の長期再編という時間軸を確保するため、上場の四半期報告のリズムから一度離れる選択をした。富士ソフトの非公開化ではKKRとベインキャピタルが競合する展開となり、最終的にKKRが約5,800億円規模で取得した。複数のPEが大型案件で本気の入札合戦を行うという構図自体が、ひと昔前の日本市場には見られなかった光景である。
ベインキャピタルは東芝メモリ(現キオクシア)に加え、日立金属(現プロテリアル)、セブン&アイ傘下のヨーク・ホールディングス取得など、日本における大型カーブアウト案件で連続的に存在感を示している。CVCキャピタルは企業価値5億〜15億ドル規模の中堅領域で投資し、平均保有期間5年程度で再売却するモデルを定着させてきた。買い手の多様化が、売り手の選択肢を実質的に広げている。
クロスボーダー案件では、2025年7〜9月期にMBOとクロスボーダーが同時に活発化した。金額ベースでは前年比75%増という伸び率で、円安下でも上位案件は粛々と動いている。注目すべきは、これまで国内中心だった商社・損保・電機系の事業会社が、AI、半導体、再エネ、ヘルスケア領域で海外スタートアップや中堅企業の買収に踏み切る事例が増えていることである。M&Aが「成長戦略の一手」として常態化しつつある。三菱商事や伊藤忠、ソフトバンクなどが海外のAIインフラやエネルギー関連企業に出資・買収を重ね、戦略的にポジションを取りに行く動きが続く。
学生・若手にとっての示唆
学生のキャリア観点では、M&Aは投資銀行・FAS・PEファンド・コンサルといった「金融×戦略」の職種だけの話ではなくなっている。事業会社の経営企画、M&A推進室、PMI(買収後統合)担当のニーズが急増し、買収先で実務責任者として送り込まれる若手も増えている。財務モデリングだけでなく、人事制度、会計システム、データガバナンスまで横断的に分かる人材の評価が高まっている。新卒で大手事業会社に入った後、20代でM&A実務に関わる機会は、5年前より明らかに広がっている。
もう一つの観点はPEファンドのキャリアパスだ。KKR、ベイン、カーライル、ブラックストーン、CVCといった外資系PEの日本オフィスはコンサル・投資銀行出身者の主要な転職先になり、報酬水準もグローバル基準で組まれる。一方、日系PE(ユニゾン、アドバンテッジパートナーズ、JIP、日本産業推進機構など)は事業承継領域で経営者と並走する経験を積みやすい。新卒で投資銀行・コンサルに進む選択は、PEへの中継ぎとして合理性を増している。学生時代から会計・財務の基礎、英語、そして特定業界の解像度を積み上げておくと、20代後半でPEへ移る道が現実的に見えてくる。
2026年以降の日本M&Aは、件数の伸びが鈍ったとしても、案件の質と規模で進化が続く。事業承継型の中小M&Aは10年単位で続く構造需要だ。MBOと非公開化、大企業のカーブアウト、AI・半導体領域のクロスボーダーが入り混じり、市場の景色は毎年変わる。学生・若手にとっては、企業の事業構造を「動かせる側」に立つキャリアの選択肢が一気に広がった時代である。M&Aを「他人のドラマ」ではなく、自分が関与する仕事の文脈で読めるようになるかどうかが、次の十年を分ける。資本市場と労働市場の交差点に立つ感覚を、今のうちに掴んでおきたい。