「H-1Bビザ申請に10万ドルの追加手数料」。2025年9月、トランプ大統領が署名した大統領令は、シリコンバレーのCEOたちを文字通り凍りつかせた。同じ年の前半には、トランプ政権の関税が2025年Q1のVC投資マインドを明確に冷やし、ハードウェアスタートアップは部品調達の見直しを迫られた。それでも2026年Q1、米国のVC投資総額は2,555億ドル。2025年通年の2,544億ドルを単一四半期で超えた。表面の指標と現場の混乱が同居する、奇妙な状況がいま起きている。
現状:関税、ビザ、税制の三つ巴
トランプ第2次政権が打ち出した政策は、スタートアップ環境に対して三つの方向から作用している。第一に関税。中国、メキシコ、カナダなどからの輸入品に対する追加関税は、特にハードウェア、ロボティクス、消費財スタートアップのコスト構造を直撃した。PitchBook/NVCAの2026年Q1 Venture Monitorによれば、貿易政策の不確実性は世界的なM&A額1.6兆ドル達成の背景にありつつも、ベンチャー投資家のリスク選好を慎重化させた要因とされている。
第二に移民政策。H-1Bビザに対する10万ドルの追加手数料は、テック大手だけでなく、創業期のスタートアップに深刻な影響を及ぼしている。海外出身の創業者がH-1Bでビザを維持しながら起業するルートは、事実上閉ざされつつある。PitchBookによれば、ベンチャーキャピタリストたちは「シリコンバレーの世界からの人材獲得能力を脅かす」と公の場で批判している。Bulletin of the Atomic Scientistsは、外国生まれの研究者が米国のAI優位を支えているにもかかわらず、政権がそれを優先課題として扱っていないと指摘した。
第三に税制。2025年7月4日に署名された「One Big Beautiful Bill Act(OBBBA)」は、適格中小企業株式(QSBS)に関するSection 1202を大幅に拡張した。資産上限は5,000万ドルから7,500万ドルへ、個人ベネフィット上限は1,000万ドルから1,500万ドルへ引き上げられ、3年保有で50%、4年で75%、5年以上で100%の段階的なキャピタルゲイン控除が導入された。創業者と投資家にとっては、移民・関税の逆風と並ぶ、明確な追い風だ。
背景:なぜ政策がスタートアップを揺らすのか
関税がスタートアップに重い理由は、彼らが大企業より構造的に脆弱だからだ。Apple、Tesla、Nvidiaのようなテック大手は、サプライチェーンの再構築に数十億ドルを投じる体力がある。一方でスタートアップは、わずか5〜10%の部品コスト上昇が予算全体を破壊しうる。Entrepreneurの分析によれば、ハードウェアと製造分野のスタートアップが「最も大きな打撃を受ける」と指摘されている。中国製電子部品、メキシコ製鋼材への依存度が高い企業ほど、実存的なリスクに晒される。
移民政策の影響は、もっと長期にわたって効いてくる。米国スタートアップの創業者のうち、海外出身者の比率は伝統的に4〜5割。Google、Tesla、Stripe、ZoomなどはいずれもH-1B経由で米国に渡った人材が中核を担った。10万ドルの追加手数料という壁は、スタートアップが採用できる人材プールを狭め、同時に、米国で起業しようとする海外の若手を躊躇させる。「人材輸入」を強みにしてきた米国の競争優位の根幹に手を入れる施策である。
他方、AI領域への投資集中は逆方向の現象として進んでいる。2026年Q1、OpenAIは122億ドル、Anthropicは300億ドル、xAIは200億ドルを調達した。この3社だけで、Q1の全AI投資額の67.3%を占める計算になる。関税で打撃を受けるのはハードウェアスタートアップであり、ソフトウェア中心のAI企業は相対的に守られている。AIと防衛テックは、関税政策と相性のいい「米国製テック」として、むしろ政権の追い風を受ける構造にある。
事例:勝つ領域と苦しむ領域
勝者の代表格は、生成AI大手である。AnthropicはQ1だけで300億ドルを調達し、評価額は600億ドルを超える水準に達した。xAIはイーロン・マスクのX(旧Twitter)とX.aiの統合を背景に200億ドルを集めた。OpenAIはMicrosoftとの再交渉を経て122億ドルを確保。これらの大型ラウンドは、米国産AIインフラへの集中投資という政権メッセージとも整合する。米国市場でしか実現できないスケールが、3社の独走を可能にしている。
もう一つの勝者は、Waymoに代表される自律走行・自律機械分野だ。WaymoはシリーズDで160億ドルを調達し、自律走行・ロボティクス領域のQ1合計を290億ドルへと押し上げた。防衛テックも同様で、Anduril、Shield AIなどが大型ラウンドを完了している。これらは「米国第一」の産業政策と方向性が一致しており、政府調達からの追い風も期待できる。Figure AIやSkild AIといったヒューマノイド・ロボティクス企業も、同じカテゴリーの恩恵を受けている。
苦しんでいるのは、海外売上比率が高い消費財スタートアップと、中国製部品に依存するハードウェアスタートアップだ。テック企業の売上の48%は米国外から得られているという業界平均があり、関税は逆方向にも効く。米国スタートアップが欧州、アジアで売る際、相手国の報復関税で価格競争力を失う構図だ。シードラウンド段階で「サプライチェーンの代替計画」を投資家から問われるようになり、起業家の事業計画書のフォーマットそのものが変わり始めている。
学生・若手にとっての示唆
慶應生で米国留学や米国就職、米国起業を考える人にとって、この政策環境は無視できない要素になる。H-1B追加手数料10万ドルは、企業がスポンサーする際のハードルを大きく押し上げており、新卒で米国就職を狙うルートは、これまで以上に「スポンサー余力のある大企業」か「STEM OPT+将来のグリーンカード」のシナリオに収斂する。スタートアップ就職をいきなり狙うのは、相当な実力か別の在留資格がない限り、現実的に難しくなりつつある。
一方、日本にいながら米国市場を狙うスタートアップ側からみると、政策はチャンスにもなる。QSBSの拡張は、米国法人を設立して米国で資本を調達する経済合理性を高めた。関税で苦しむ米国ハードウェア企業の代替サプライヤーとして、日本企業や日本拠点のスタートアップが入り込む余地もある。シリコンバレーで物理的に働かなくても、米国を顧客として狙う設計は、リモート前提の今、十分に成立する。
トランプ第2次政権の経済政策は、米国スタートアップ環境を一律に冷やしているのでも、一律に温めているのでもない。AI、防衛、自律機械といった「米国第一」と整合する領域には資本を呼び込み、ハードウェアや海外売上比率の高い領域からは熱を奪っている。重要なのは、自分が動こうとしている領域が政策の風上にあるか、風下にあるかを冷静に見極めることだ。政策は4年で変わりうるが、いま動いている資本と人材の流れは、その先の10年の競争地図を塗り替える。風向きを読み、自分の足場をどこに置くかを設計することが、これからの世代に問われている。